フランス中等教育における学校間格差の歴史と現状*

 

 

要旨

 フランスの前期中等教育施設(コレージュ)の学校間格差の問題は教育社会学の分野でしばしば指摘されてきた。この論文では、1980-1990年代を通して増大し続けた学校間格差拡大の過程を概観し、その現状を検証する。

 1980年代に、一学年の生徒の80%をバカロレアの合格に導くという教育政策の下、上級学年への進級の基準が緩和された。進級は、厳密には学業成績を反映しなくなり、選別的な性格が減じた。教育期間の長期化に対する国民的要求はこのような形で満たされたが、選抜システムの弛緩は、恵まれた階層による公立学校の回避を次第に増加させた。こうして学校間格差が生じ、その結果、社会的に恵まれない階層に属して、学業が遅れがちな生徒が特定の学校施設に集中するようになった。

 こうした学校間格差は現状では、「人種的」な性格を示すようになっている。すなわち、公立学校間の格差は、特定学校施設に移民の生徒や移民家族出身の生徒が集中するという様相を呈しているのである。

 

キーワード:フランスの教育制度、公立中等教育、教育における社会的格差、学校選択、人種隔離。

 

 


 

0.導入

 

 我々は以下の論考で、フランスにおける中学校間の学校格差の問題を取り上げ、それがどのような歴史的な経緯を経て発生し、どのようなメカニズムによって拡大し、現在はどのような状況に至っているのか、フランス教育社会学の文献を手がかりにして考察する1)1.1節から1.3節を通して、中学校における学校間格差の発生と拡大の機構を歴史的に概観し、1980年代半ばから始まった高校教育の「大衆化」によって中学校における選抜が緩和された結果、それまでは特に問題とされなかった学校間格差が顕在化し、やがて循環的に拡大した様子をみる。2.1~2.2節ではそうした学校間格差が、90年代を通して学校教育の様々な側面で拡大した事実を統計的データを通して検証する。学校間格差の拡大は、それぞれの学校施設が受け入れる特定カテゴリーの生徒の集中度によってみてとれるが、3.1節以降は、特定人種の生徒、すなわちアフリカ黒人系・マグレブ系・トルコ系の生徒が特定施設に集中しているという研究を取り上げ、学校施設間の格差が「人種化」している様相を明らかにする。

 学校施設の「人種化」はさまざまな点で社会問題を生じさせる。特定施設に特定人種の生徒が偏在する「人種隔離」状況こそが人種差別主義を生み出し、それが学区外の学校への生徒の流出を促進する。実際、フランスにおける学校間格差拡大の中心的な要因は、このような「学校回避」なのである。我々は3.6節で、土着フランス人庶民階級が示す「学校回避」の構造を分析し、彼らが置かれた社会的な状況も考慮しつつ、特定学校施設への生徒の人種的な集中が人種差別的姿勢をいっそう増強する循環的プロセスを明らかにする。

 学校間格差と「学区」の学校の回避という現象は、近年のわが国の教育状況にとっても無縁の問題ではない。「ゆとり教育」の評価や学力低下をめぐって活発な論争が交わされる一方で、「大学全入時代」といわれるように高等教育は制度的に大きく「大衆化」している。学校の選抜機能の弛緩を暗示するこのような諸現象をうけて、小・中等教育における学校選択制が着実な広がりをみせている。このような日本の教育の現状にとって、フランスの過去20年にわたる学校間格差拡大の歴史と、学校の「ゲットー化」という最終的な厳しい現実とは、大きな教訓を与えるものだと考えられる。

 

1.学校間格差の構造的生成:歴史的経緯

 

 フランスにおける中学校の学校間格差がどのような経緯で生じてきたか、という問題をまず検討してみよう。Broccolichi(1995)によれば、学校間格差は中等教育前期における「選抜の緩和」とそれに随伴した「学校間競争の進行」の相乗的な結果であるという。そして、こうした一連の変化は、高校への進学が大きく「大衆化」した1980年代の半ばを転換点として発生してきた。

 

1.1      1980年代半ばの転換点

 周知のように、1989年の教育基本方針法(loi d’orientation sur l’éducation)2)において、政府は10年後に各年齢層の80%が高校卒業資格(baccalauréat)を取得することを目標に掲げた。1985年における同資格取得者が年齢層の三分の一強だったことを考えると、この目標がいかに画期的であったがわかる。実際、目標達成期間のほぼ半分である1992年時点での数値からは、この目標に向けた変革が順調に進行していた様子がみてとれる。すなわち、高校の最終学年で卒業資格試験を準備していた生徒は、1992年時点で年齢層の60%まで達しており、1985年時点の36%に対して7年間で24%の増加を示しているからである。1970年から1985年の15年間の増加が10%程度であったことを考えると、この7年間の増加が、60年代の爆発的な生徒増に匹敵する大きな変化であることがわかる。

 これほどの変化の渦中で、学校側は増加する生徒をどのように教育し、その将来をどのように指導してゆくか、大きな変革を迫られた。この変革がどのようなものであったかという点を理解するために、80年代半ばを境にして、その前後で、中等教育の運営がどのように変化したか検討する必要がある。

 1970年から1985年までの中等教育生徒の構成は、驚くほど安定的であった。とくに、生徒たちの教育課程の選択は、この期間を通して、親の学歴=職業カテゴリーを反映する形のままで推移し、そこでみられた変化は、人口の職業構成の変化の範囲内にとどまっていた。その結果、高等教育につながる中等教育の「長期課程(以下「進学コース」)」に入る生徒の割合はこの期間を通してほとんど変化がなかった3)

 この時代の「教育の成果に現れた社会的不平等」は、生徒たちの進路指導における選抜を通して生みだされた。第6学年(中学校初年度)に入学した生徒のうち、2年で四分の一が進学コースから脱落し、高校に入学する段階では、当初の40%まで減少していた4)

 このような状況下で、1985年を転回点にしてどのような変化が起こってきたのだろう。まず、指摘しなければならないのは、この変化が80年代半ばから喧伝されるようになってきた教育平等化(「どの子にも進学の道を!」というスローガンはよく知られている)や、生徒の多様性に対応した教育の多様化、あるいは生徒個々の習得レベルに応じた学習内容の個性化(学習遅滞生徒への学習補助施策等)というような理念から帰結したのではない、 という事実である。実際、これらの理念は、公的な文書等ではなばなしく取り上げられたわりには、教育現場で実践されることが少なかった。現場の授業は、あいかわらず伝統的な「講義」を通した「押し付け教育」であったのである5)

 また、この変化は生徒や保護者からの、より高い学歴に対する要求から直接帰結したのでもない。むろん、後期中等教育(高校)レベルへの進学者の急増は、このような要求の裏打ちなしには起こりえない。しかし、失業や社会的転落を逃れるために高い学歴を求めるという傾向は、80年代半ばよりもずっと以前、すでに1960年代から存在しており、この傾向を新たな変化の動因とみなすことはできない。

 80年代半ば以降の進学者の急増は、上でみた二つの要因ではなく、中学校レベルにおける選抜の緩和の帰結なのである。実際、この時期には、進路指導をめぐっていくつかの基本方針に変化が生じている。まず、生徒の進路の決定に関して、親(保護者)の意向をより尊重するともに、校長の権限を増大させた。校長を通して文部省の政策をより効果的に現場に浸透させるためである。こうして現場の教員は、生徒=保護者側と校長=文部省側の両面から、進路指導における裁量を制限されることになった。さらに、14-15才から職業教育を導入していた「短期課程(以下、就職コース)」の定員が大きく削減された(Trancart 1993 : 25)6)。こうした変化の結果、現場の教員は、学習達成度に基づく生徒の管理に「選抜」という方法を利用できなくなった。「選抜」をより困難なものにした制度的改革の一つに落第(原級留置)と進路指導の関係の変化がある。80年代の終わり頃、第5学年から第4学年の進級時に「就職コース」へと進路指導するためには、第5学年をやり直す「落第」をもう一つのオプションとして提示せざるをえなくなった。この結果、現場では「どうしようもない子」を進学コースの第4学年に進級させる方が現実的な選択としてより多く取られることになった。さもないと、就職コースへ向かわない「どうしようもない子」たちを落第を通して長期間、学校に抱え込むことになるからである。結果として中学校における落第数が減少することになった。すなわち、中学校における落第は、1990年には1986年と比べると25%以上減少した。しかし、これは上述した進路指導の変化の結果であり、教育の成果が上がったということは別のことを意味している。

 

1.2      選抜機能の一般的低下と学校間格差の発生

 80年代の半ば以前は、教育過程が不可避的に生み出す生徒間格差と、教育成果に基づく選抜とが一貫性をもって機能していた。選抜の権限を与えられた教員は、成績不良の生徒を進学コースに進級させず、その結果、進学コースの中学校後期(第4及び第3学年)での教育レベルは、学校間でほとんど差がなかった。特定の学校がどのような地域に位置し、どのような社会階層の生徒を入学させているかという点では、むろん差異が存在していたが、選抜過程を経ることで、普通高校への進学を目指す生徒層ではほとんど差異がなくなっていたのである。反面、この選抜過程自体は、きびしさの点で、中学入学者の社会階層の違いを反映して、学校ごとに大きく異なる可能性があった。1986年のVal-de-Marne県のデータでは、ともに成績優秀な二つの中学校が、選抜過程の点で両極端の様相をみせている例がある。すなわち、「庶民階級」地区の中学校では中学入学者(第6学年生)のうち、進学コースの第3学年に進級したものが40%にすぎないのに対して、社会的により恵まれた生徒が通うもう一つの中学校では、その比率が75%にもなるのであった。

 より一般的なデータをみると、1980年の中学入学者(第6学年生)のうち第4学年まで進級できなかった者が、非熟練労働者や農業労働者の子どもでは40%あったのに対して、教員や上級管理職の子どもではその比率がわずか3%にとどまるという事実があった。学習達成度を反映した選抜過程が、社会階層の違いでこれほどまでの差異を生み出していた状況で、選抜を緩和して進学コースへの参入をより多くの生徒に許容するという教育現場の対応は、大きな問題を生み出した。これほどの改革を実現するには、明確な方針と強い意志に支えられた大規模かつ大胆な教育実践の変革が不可欠であったはずだが、上述したように、現場での教育は旧態依然なものであったからだ。

 現場の教員たちは、いまや、中学校の後期においても選抜を経ていない生徒を相手に教育活動をすることになり、生徒との葛藤を避けるためには教育レベルを下げざるを得なくなった。しかしこれは、短期的に問題を先送りしたにすぎず、結局は高校に入学した段階で、生徒たちは大きな失望を味わうことになるのだった。

 こうした問題の先送りがどれほどのものであったか、極端ではあるが、問題の本質を良く示す例がある。庶民階級地区に立地し、選抜が極めて緩いある中学校出身の生徒たちは、高校(第2学年)に入ると、成績の素点が平均で「半減」し、多くが職業教育課程への転換を勧められた。さらに、彼らの50%が高校2年(第1学年)に進級できなかった。他の中学校出身者の場合には、この比率が20%に止まっていることを考慮すると、彼らが高校に入ってはじめて、いかにきびしい選抜に直面したかがよくわかる7)

 教育実践の諸条件を改善することなく選抜過程を緩和することは、学校間の格差を生み出し、拡大することにつながる。生徒の社会階層に由来する教育格差が学校内での選抜によって中和されていたからこそ、学校間格差が目立つことがなかったのだ。こうして1980年代の半ば以降、学校間格差が次第に拡大されてゆく。とくに、2.1節で後述するように、特定の学校に労働者の子どもや外国籍の子どもが集中してゆく。しかし、この「格差」は、単に特定中学校の学区の社会階層的人口構成を反映したものではない。Barthon et Oberti (2000)も指摘するとおり、特定中学校への特定カテゴリーの生徒の集中は学区の人口構成を大きく上回ることもままあるのである8)。学校内での選抜が機能しなくなったために増大した、ことさらに目につく格差を回避するために、人々はより「安心できる」学校へ子どもを通わせたいと願い、学校選択をするようになる。こうした傾向を助長した要因として、まず1984年から開始された学区制の緩和措置(藤井1999: 404)があげられる。Trancart (1993 : 21, 1998 : 53)によれば、1993年時点で、50%の中学校が学区緩和措置の適用を受け、10%の生徒が割り当てられた学校とは違う学校に通っていた。さらに、私立学校への生徒流出も忘れてはならない9)

 

1.3      格差の循環的拡大

 選抜過程の弛緩によって学校間格差がいったん生み出されると、それは循環的なプロセスにしたがって、拡大せざるを得ない。結果として、選抜を経ていない生徒たちの「侵入」のもっとも著しい学校が、もっとも回避されることになり、最終的には特定の学校が、ほかに選択の余地のない者たちのみが集中する「ゲットー」と化すことになる。今、このプロセスを少し詳しくみてみよう。

 学区制の緩和を利用して学区外の学校に入学を申し出た場合、生徒は書類上のデータで振り分けられ、選抜されることになる。言うまでもなく、その選抜は、受け入れ先の学校の人気が高ければ高いだけきびしいものになる。出身校・成績・出欠・問題行動の有無等が考慮されることになるが、選ばれるのは学校的制度・文化に対してすぐれた適応力をもつ者であり、その結果、彼らを受け入れる学校は、高い社会的な評価(「よい評判」)を維持することができる。一方、生徒・保護者側が学校を比較する時には、学校間共通試験での成績、葛藤や衝突の噂、学校施設や生徒の外見等の要素に依拠することになるが、実質的には微小な学校間の格差さえ、生徒・保護者側のこのような比較・評価的な視線を通して、ほとんど不可避的に拡大して意識づけられることになる。さらに、外見等の目に見える相違が、一部の保護者が行っている選択をいっそう正当化するように思われ、他の保護者も同様の選択に駆り立てられる。

 こうした学校選択とその結果としての特定学校のゲットー化は、居住地の選択過程と多くの点で共通している。他に行き場のない者たちが集中しているという事実がその学校・街区を避けるべきものにする。さらに、「避けられている」事実がそこをよりいっそう避けるべきものにする。しかし、他所に行くことはだれにでも可能なのではない。他所に行かないということは、自分も「他所に行くことができない」という社会的排除のスティグマを負うことになる。だから、できる限り他所に行かなければならなくなる。

 こうした循環的プロセスが特定の学校に特定カテゴリーの生徒を集中させると、生徒たちは、まさに彼らが避けられる原因となっている行動や服装面での特徴をいっそう強調するようになる。というのも、彼らはこれらの特徴ゆえに社会的・教育的選択から排除されたのであり、いまやそれを選ぶ以外に選択の余地がなくなっているからだ。こうして循環的プロセスはさらに閉じたものとなる10)

 

21990年代以降における公立中学校間の格差の拡大

 

 1980年代半ば以降、中学段階での学校間格差がどのようなメカニズムで発生してきたか、上で検討したが、ここではその学校間格差がどの程度のものであり、1990年代を通してどのように推移したか、Trancart (1998)に基づいて数値的に検討したい11)

 

2.1      特定カテゴリーの生徒の分布が示す学校間格差

 Trancart (1998)は、海外県・領土を除くフランス「本土」の中学校に関する3ヵ年度−1989-19904693)1993-19944849校)、1996-19974932校)−にわたる調査から、学校間格差の指標となるデータを抽出し分析している。それらの指標はいづれも中学校に在学する生徒の特徴に関するもので、@中学入学時(第6学年)における2年以上の落第経験者の割合(1年の落第経験者の割合より、格差をはっきりと示す指標)、A第6学年生徒の出身社会階層(労働者階級出身者等の割合)、B中学校在学生(第6学年生から第3学年生まで)のうちの外国籍生徒の割合の三つである。これらの指標を上記の年度ごとに比較検討すると、公立中学校における学校間格差が年とともに増大しているのがわかる。

 まず、「2年以上の落第経験者の割合」をみてみよう。以下の表1に示すとおり、このカテゴリーの生徒は、全国平均では三つの調査年度を通して一貫して減少している。しかし、調査対象学校間のばらつきを示す変動係数は逆に一貫して増加しており、このカテゴリーの生徒の集中に関して学校間格差が広がったことを示している。実際、1996-1997の調査では、一方の極にある10%の中学校には、このカテゴリーの生徒が1%未満しか存在しないのに対して、他の極にある10%の中学校には、10%を超える数の同カテゴリーの生徒が存在する。

 次に生徒の社会階層について検討してみよう。これは公的な統計データのうち、「労働者階級出身」「父親が無職」等の項目が検討対象となる。しかし、「労働者」の定義が調査年間の間に変わったこともあり、ここでは「恵まれない」人々(労働者、(労働者・事務労働者の)退職者、失業者、無職)というカテゴリーが代表的な指標となる。そこで、「恵まれない」環境出身の生徒の割合を検討すると、その全国平均は、表1に示されたとおり三つの調査年度を通して減少している。しかし、ここでも学校間のばらつきを示す変動係数は32から40へと上昇している。こうした格差の拡大を示すデータとして、次のものがあげられる。1997年には、「恵まれない」生徒の割合が20%未満である中学校が全体の10%あったのに対して、もっとも困難な状況にある10%の中学校では、「恵まれない」生徒の割合が64%を超えているのである。

 次に外国籍の生徒の割合を検討すると、ここでも学校間の格差とその拡大がみて取れる。まず、注意を要することは、外国籍の生徒の多くが同時に「恵まれない」生徒である点である。1989年のデータでは、フランス国籍の生徒における「恵まれない」生徒の比率が38%であるのに対して、外国籍生徒の実に84%が「恵まれない」カテゴリーに属する。また、一般的な傾向として、外国籍か、あるいは「恵まれない」生徒たちは同時により頻繁に学習の遅れを示す生徒たちでもある。

 以下の表1が示すとおり、外国籍の生徒の平均は、1993-1994年にわずかに増加し、1996-1997年には減少へと向かう。一方、変動係数はすでに1989-1990年においても122という高い数値を示しているが、以後、1996-1997年にかけて一貫して増加している。すなわち、公立中学校における外国籍生徒の比率には大きな学校間格差があり、その格差が1990年代を通していっそう拡大したことを示している。しかも、この拡大傾向は現在も引き続いて観察される。1996-1997年のデータにしたがえば、一方の極にある10%の中学校には0.2%未満しか外国籍の生徒がいないが、他の極にある10%の中学校では、19%を超える外国籍生徒が存在する。

 

1.公立コレージュにおける特定カテゴリー生徒の分布

生徒の特徴

1989-1990

1993-1994

1996-1997

平均

標準偏差

変動係数

平均

標準偏差

変動係数

平均

標準偏差

変動係数

2年以上の落第経験者

11.6%

6.6

56

7.3%

5.2

71

5.2%

4.3

82

「恵まれない」環境

46%

14.8

32

43.2%

16.7

39

42.3%

17

40

外国籍

8.1%

9.3

122

8.2%

10.4

127

6.9%

9.2

134

Trancart (1998:46)からタイトル、項目名を翻訳して引用。

 

 中学校の学校間格差を如実に示すデータとして、上で検討したカテゴリーについて、全国の中学校の平均値と、「恵まれない」生徒集中度の上位150校の平均値を比較してみよう(表2)。学習の遅れ、出身社会階層、外国籍のどの点でも、これらの150校が全国平均を大きく上回っているのがわかる。また、これら150校のうち、104校までが1994年と1997年で同一であり、しかもパリ、リヨン、マルセイユという大都市郊外等、特定地域に集中する傾向がある。

 

2

全国平均/「恵まれない」150校の特定カテゴリー生徒の分布比較

年度(全国平均/150

2年以上の落第経験者

「恵まれない」環境

外国籍

1994年(全国平均)

7.3%

43.2%

8.2%

1994年(150校)

21.5%

68.6%

41.2%

1997年(全国平均)

5.2%

42.3%

6.9%

1997年(150校)

17.0%

69.3%

36.0%

Trancart (1998:47)からタイトル、項目名を翻訳して部分的に引用。

 

 ここまで取り上げてきた特定カテゴリー生徒の特定学校施設への偏在は、Trancart (1998)の調査年度以降どのように変化しただろうか。Thomas(2005: 106-107)2003-2004年度の調査に基づいて、以下のようなデータを提示している。

 

(1)2年以上の落第経験者」は、下位10%の中学校ではまったく存在せず、下位25%の中学校でも1.1%未満しか存在しない。一方、上位10%の中学校では6.9%超の生徒がこのカテゴリーに属する。

(2)「恵まれない」生徒の割合は、下位10%の中学校で21.3%未満であるのに対して、上位10%の中学校では68.0%を超えている。

(3)「外国籍の生徒」については、下位25%までの中学校でまったく存在せず、下位50%の中学校まで拡大しても1.6%未満しか存在しないのに対して、上位10%の中学校では13.2%超の生徒がこのカテゴリーに属する。

 

 Trancart(1998)が調査した1996-1997年度のデータと比べると、まず「恵まれない」生徒が特定学校施設に集中する傾向がより一層進んでいるのが観察される。すなわち、上位10%の学校施設において、このカテゴリーの生徒の割合は64%超から68.0%超へと増加している。一方、「2年以上の落第経験者」及び「外国籍の生徒」に関するデータの解釈は注意を要する。上位10%の学校施設における集中度だけを比較すると、「2年以上の落第経験者」については、10%超から6.9%超へ、「外国籍の生徒」については19%超から13.2%超へといくらか減少しているようにみえる。しかし、集中度下位の学校施設に関するデータを比較すると、必ずしも集中度が減少したという結論は導けない。すなわち、「2年以上の落第経験者」については、1996-1997年度には集中度下位10%の学校施設でも1%未満このカテゴリーの生徒が存在したのに対して、2003-2004年度では下位10%の中学校ではまったく存在せず、下位25%の中学校でも1.1%未満しか存在しない。同様に、1996-1997年度には「外国籍の生徒」が集中度下位10%の学校施設でも0.2%未満存在したのに対して、2003-2004年度では下位25%までの中学校ではまったく存在していない。すなわち、これら二つのカテゴリーの生徒に関しては、分布の全体的な構造が変化したのは確かだが、それが直ちに特定学校施設への集中の解消につながっているとは言いがたいのである。また、「外国籍の生徒」に関しては、3.1-3.2節でみるように「国籍」は必ずしも「人種」を反映しない。生徒の「人種」という観点から学校間格差をみると、よりいっそうきびしい事実が浮かび上がる。

 Thomas(2005: 108)はさらに、第6学年入学時における学力テストの平均点と「恵まれない」生徒の割合との相関を検討した。これらの値の相関係数は-0.7であり、予想されるように強い負の相関があることがわかる。

 また、Thomas (2005 : 115)は中学校(第6学年)に入った生徒のうち、どのくらいの割合の生徒が、普通科の第3学年に進級するかという観点から学校間格差を調査した。その結果、最も普通科進級率の高い上位10%の中学校では第6学年新入生のうち84.4%が普通科第3学年に進級するのに対して、下位10%の中学校では、この比率が62.4%まで下がる。しかしながら、この進級率と上述の生徒の諸特徴との相関に関するデータはThomas (2005)では示されていない。

 

2.2      教員・カリキュラムに関する学校格差

 中学校における学校間格差のもう一つの側面に、教員構成やカリキュラムの問題がある。

 Trancart (1998 :49)によれば、各学校が十分な資格を持たない「補助教員(maître auxiliaire)」に依存する程度に関しても学校間格差が観察される。以下の表3.は1989年から1996年にかけて、フランスの公立中学校における「補助教員」の比率と変動係数を示したものである。

 

3.

公立中学校における「補助教員」の比率

年度

補助教員比率(%)

変動係数

 

1989

5.2

113

 

1993

6.9

100

 

1996

4.4

133

 

Trancart (1998:49)本文のデータから作成。

 

表3.に見るように、「補助教員」の比率は全国平均では、1989年から1996年にかけて4.4%から6.9%の範囲で変動している。しかし、学校間のばらつきを示す変動係数は1989年に1131996年に133であり、学校間の格差が非常に大きく、かつ、90年代に入って増大していることを示している。補助教員が多い中学校のうち、上位10%の学校では、全体の11%を超える教員が補助教員である。これに対して、その対極にある10%の中学校では、補助教員は一人もいない。

 教員の特徴は学校の性格と対応している。以下の表4.では、補助教員の比率を「教育特別区(Zone d’éducation prioritaire、以下ZEPと略す)の中学校」および「教育困難校(colléges sensibles)12)とそれ以外の学校とで比較したものである(参考のために「都市及び都市近郊地区」と「非都市化地区」との対比も掲載した)2.1節で見た「恵まれない」環境出身の生徒が多く通うZEP地区中学校や教育困難校では、補助教員の比率が全国平均を上回っており、それら以外の中学校では全国平均を下回っている。教育困難校とそうでない学校とを比べると、その比率は倍以上になる。補助教員が、非都市化地区とともに、こうした「問題校」に集中する傾向がはっきりと現れている。

 

表4.「ZEP地区中学校」および「教育困難校」における補助教員比率(1996-97

中学校の特徴

補助教員の比率(%)

ZEP地区中学校

5.5

ZEP地区中学校

4

教育困難校

10

非教育困難校

4

都市及び都市近郊地区

3.8

非都市化地区

7.1

 

 

全中学校平均

4.4

Trancart (1998:49)のグラフからから作成。

 

 同様の傾向は、35才未満で経験の浅い教員の比率にも見てとれる。表5.は、ZEP地区中学校や教育困難校とそれ以外の学校とをこの点で比較したものだが、補助教員の場合と同様、これらの学校では35才未満の教員の比率が高い。

 

表5.「ZEP地区中学校」および「教育困難校」における35才未満の教員比率(1996-97

中学校の特徴

35才未満の教員の比率(%)

ZEP地区中学校

31

ZEP地区中学校

23

教育困難校

38

非教育困難校

24

 

 

都市及び都市近郊地区

24

非都市化地区

26

 

 

全中学校平均

24

Trancart (1998:49)のグラフからから作成。

 

 以上のデータは、特定カテゴリーの生徒が集中し、多くの困難ををかかえた学校ほど、資格が低くかつ/または経験の浅い教員に依存しているという現実、すなわち、最も困難な教育現場が、最も若く不安定な立場の教員にまかされてるという矛盾をはっきりと示している。また、van Zanten(2001: 10)によれば、これらの教員は短期間で学校を変わり、「問題校」から出てゆくことが多い。さらに同様の傾向は、校長についても観察される。教師・校長の移動が頻繁であるために、こうした学校では、一貫した教育活動の継続が一層むずかしくなっている。

 学校で提供される選択科目やコースの選択についても学校間格差が観察される。Barton et Oberti (2000 :304)によれば、「恵まれない」学校では外国語科目の選択肢や成績優秀者向きのコースが少なく、学習遅滞生徒を分離する「島流し」的なコースが多い。これに対して、反対の極にある学校では、ヨーロッパコース(filières européennes)、国際バイリンガルコース(filières internationales bilangues)のような「優等コース(filières d’excellence)が用意されている。

 こうした教育機会の不平等は、居住地の人口構成を反映するために、地域間の格差となって現れる。van Zanten (2001 :9)によれば、パリ近郊の二つの県、Hauts-de-Seine県とSeine-Saint-Denis県を選択科目・コースの点で比較すると、「優等」コース(音楽・芸術・ヨーロッパコースなど)や選択者が少数の外国語(ロシア語・中国語等)のクラスはHauts-de-Seine県に多いのに対して、Seine-Saint-Denis県ではこうした科目・コースは少ない。これはSeine-Saint-Denis県の住民の特徴と対応している。この県では、土着フランス人であれ、移民であれ、ともに厳しい生活状況に置かれている住民が多いからである。また、Hauts-de-Seine県の内部においても、教育機会は均等に配分されてはいない。すなわち、社会・経済的に上層に属する住民の多い自治体・街区の学校ほど多くの選択肢を提供しているのである。Oberti (2007 :194)によれば、Hauts-de-Seine県にある自治体のうち、庶民階級の住民が多いNanterreと高級住宅地として知られるRueil-Malmaisonでは、中学校での教育選択の可能性が大きく異なる13)。すなわち、Nanterreでは、学習遅滞生徒の補助に向けられる「社会政策的」選択肢がすべての中学校に設けられているのに対して、Rueil-Malmaisonでは、同様の選択肢を持つ中学校は全体の半分に過ぎない。言語教育に関しては、反対にRueil-Malmaisonの中学校のほうが、古典ギリシャ語やラテン語を含めて、ずっと多くの選択肢を用意している。これらの豊富な選択肢は、ヨーロッパコースやバイリンガルコースの設置とも関係している。

 教育機会の提供に関する学校施設の「専門化」(Oberti 2007 :194)の様相を、Thomas (2005 : 108-112)はより最近のデータに基づいて報告している。まず、学習遅滞生徒のために設けられる「目的別」クラスの設置状況と14)、各学校の生徒の特徴との関係を見てみよう。表6.にあるように、いずれかの「目的別」クラスを設置している中学校の比率は、各中学校に在籍する生徒の特徴によって変動する。学習遅滞を表す「2年以上の落第経験者」が在籍生徒に占める割合が高い上位の25%の中学校をとると、「目的別」クラスを設置している学校の割合は42.6%にものぼる。これに対して、このカテゴリーの生徒が最も少ない下位25%の中学校では、「目的別」クラスの設置は25.6%にとどまる。以下、同様に、「恵まれない」環境にある生徒の集中の上位25%と下位25%を比べても、「目的別」クラス設置の比率は50.2%20.3%と、2.5倍もの開きがある。「外国籍」生徒についても事情は同じである。外国籍生徒が最も集中する上位25%の中学校では、46.2%が「目的別」クラスを持っているのに対して、下位25%の中学校では、24.5%しか「目的別」クラスを開設していない。

 特定のカテゴリーの生徒が集中する学校施設が、特定の教育課程に「専門化」するという傾向は、上で見た特定カテゴリーの生徒の集中度と、はっきりと「就職コース」の性格を持つSEGPAsection d’enseignement général et professionnel adapté:「職業教育対応普通科」)を設置する学校施設との関係にも現れている15)。表6.にみるように、「2年以上の落第経験者」・「恵まれない環境出身者」・「外国籍生徒」の集中度が上位の25%にはいる中学校では、SEGPAを設置している学校施設の比率が、集中度下位25%の学校より大幅に上回っている。

 

6.特定カテゴリー生徒の集中度と特定教育課程の関係

6学年生徒の特徴

集中度

「目的別」クラスを設置している学校の割合(%)

SEGPAを設置している学校の割合(%)

2年以上の落第経験者

上位25%

42.6

34.7

 

下位25%

25.6

22.6

「恵まれない」環境

上位25%

50.2

40.0

 

下位25%

20.3

17.5

外国籍

上位25%

46.2

34.3

 

下位25%

24.5

21.8

全国平均

33.0

28.3

Thomas(2005:109)からタイトル、項目名を翻訳して部分的に引用。

 

 表6.に掲げたデータは、特定カテゴリーの生徒が集中する学校施設が、学習遅滞生徒に対する対策や、早期の職業教育に「専門化」する状況をよく示しているが、Thomas(2005 :111-2)は、こうした「社会政策的」教育課程の対極をなす「優等」コースの分布に関して大変興味深い事実を指摘している16)

 上述したように、このような成績優秀者向けの教育課程は、一般に、社会的・経済的に「恵まれた」生徒の通う学校施設に多くみられる。このことは、表7においてはっきりとみてとれる。「恵まれた」環境出身者が生徒に占める割合が高い中学校ほど、「優等」コースを設置する割合が高くなる。

 

7「恵まれた」環境出身者生徒の集中度と「優等」コース設置比率

6学年生徒の特徴

集中度

「優等」コースを設置している学校の割合(%)

「恵まれた」環境出身者

 

 

上位25%

46.5

中上位25%

40.4

中下位25%

36.9

下位25%

33.6

全国平均

39.3

Thomas(2005:111)からタイトル、項目名を翻訳して部分的に引用。

 

一方、表8にまとめられた「恵まれない」環境出身者の集中度と「優等」コース設置との関係をみてみると、「優等」コースの設置に関してこれとは異なったファクターが存在するのがわかる。「優等」コースが基本的に「恵まれた」生徒のためのものであることは、「恵まれない」環境出身者の集中度の下位25%の学校(すなわち、「恵まれない」環境出身者が相対的に最も少ない学校)で、「優等コース」の設置比率が44.4%と最も高いことからも確認される。しかし、「優等コース」を設置している中学校の割合は、「恵まれない」環境出身者の集中度の上位25%の学校施設においても40%を超えており(41.9%)、これらの学校施設では、集中度が中程度の学校施設よりも、「優等」コース設置の比率は高い。すなわち、「恵まれない」環境出身者の集中度を通してみると、「優等」コースの設置比率は両極にピークを持つ分布を示しているのである。

 

8「恵まれない」環境出身者生徒の集中度と「優等」コース設置比率

6学年生徒の特徴

集中度

「優等」コースを設置している学校の割合(%)

「恵まれない」環境出身者

 

 

上位25%

41.9

中上位25%

34.9

中下位25%

36.1

下位25%

44.4

全国平均

39.3

Thomas(2005:111)からタイトル、項目名を翻訳して部分的に引用。

 

 この事実をThomas(2005 : 112)は以下のように解釈する。すなわち、「優等」コースの設置は二つの異なった戦略から派生する。一つは、恵まれた生徒が通う「いい学校」において、将来の高学歴につながる教育機会を提供しようという戦略、そしてもう一つは、「恵まれない」学校から優秀な生徒が流出することを阻むための戦略である。実際、「恵まれない」生徒を多く受け入れながら、「優等」コースを設けている中学校は、「恵まれた」生徒がほとんどいない学校ではなく、こうしたカテゴリーの生徒も一定数存在する学校施設なのである。生徒の社会階層が混合しているこのような学校では、しばしばより「恵まれた」階層が他校に流出する「学校回避」が問題になる。van Zanten(2001 : 120-21)によれば、生徒の流出を阻むための手段として、多くの学校施設で成績優秀者を「守る」ための特別クラスが設置されるが、それを制度的に可能にするのが、外国語の選択をはじめとした「優等」コースの導入なのである。

 こうした学校施設では、教育課程の多様化が学校間格差拡大への抵抗の手段として機能する。それと同時に、学校施設内で「優等」コースとそれ以外の教育課程との区別を通して、「内部における排除(exclus de l’intérieur)(Bourdieu et Champagne 1992)を発生させる基盤を作り出すことにもなる。表8にみられる「優等」コース設置状況の二極化という現象は、教育機会の多様化が、「学校間格差の拡大」と「格差拡大への抵抗」という二つの側面を持っていることを示している。

 

3.特定中学校における生徒の人種的集中

 

 前節で検討した学校間格差の一要素に、外国籍生徒の集中の問題があった。しかし、「国籍」という社会・政治的なステイタスと「人種」は必ずしも重複しない。本節では、学校間格差を「人種」という視点でみるとどのような様相を呈するか、検討する。

 George Felouzis, Françoise Liot, Joël Perroton による研究Felouzis et al. (2005) は、中学校の学校格差が「人種隔離(ségrégation ethnique)」といっても過言ではない状況を呈していることをユニークな方法による独自の調査に基づいて指摘していて、大変興味深い17)。それによれば、ボルドーを中心とする大学区(académie)において、本人または家族が移民である生徒の40%が、わずか10%の中学校に集中しているという。都市郊外の居住空間と同様、特定の教育施設に移民系生徒の集中がみられるということは、直感的にはフランス社会の「常識」(Barton et Oberti 2000 : 303となり、しばしばマスコミの報道や評論にも取り上げられるのだが、この事実を社会学的な調査に基づく統計的な事実として明示的に提示した点でFelouzisらの研究は大変重要であり、以下、その概要をやや詳しく検討したい。

 

3.1      調査方法:生徒の名前に基づく人種の推定

 そもそもフランスには、「人種」に基づいた公的な学校統計は存在しない。すべての市民は「出身、人種、宗教による区別なしに法の前で平等」であることがフランス共和国の原則として憲法において保障され、国家の制度が人種の区別に左右されることはありえないゆえに、人種に関する統計自体、存在意義がないとみなされるからである。しかしこのことは、高邁な共和国原理が意図する人種区別の撤廃―現実的には人種間の融和と統合―を理念的には促進する一方で、「人種による区別は共和国には存在しない」という大前提ゆえに、かえって現実に存在する差別と隔離の社会状況を隠蔽することにもつながる。社会問題を「人種」というファクターからみること自体が、「人種」間の区別を前提にするゆえに許されないとする立場は、ときには重大な社会問題を「存在し得ないもの」として抑圧してしまうという倒錯を引き起こしかねない。

 「人種」にまつわるこのようなフランスの言説状況を考慮すると、Felouzisらの研究はまさにタブーに対する挑戦ともいえる。しかし、人種を軸とする公的な統計が存在しない状況でどのように生徒の人種的な配分を調べることができるだろう。多くの対象人口を調査しなおすという大規模な労力負担には、個々の研究者レベルではたえられない。新たな調査に頼ることなく、すでに存在する公的なデータから、生徒の人種を割り出す方法はないか。公的データは「両親の職業」等の社会学的な規準や、中学入学時の成績等の教育的規準に基づいて統計を取るケースが多いが、データの中には、生徒の「国籍」も記録されている。しかし、国籍は当該生徒の人種的帰属と極めて部分的にしか対応しない。そこでFelouzisらの取った方法は、生徒のファーストネーム(以下、「名前」)を調べ、それに応じて生徒の人種的帰属を推定するというものだった。こうした推定は、移民の家族が自分たちの子どもを定型的なパターンにそって名づけるという事実に依存している。すなわち、たとえば、イスラム系の移民は子どもにイスラム系の名前を与える。このことは、「土着(autochtone)フランス人」中産階級が、子どもの名前に高度な差異化を求めるのと著しい対照をなす。特に重要な点は、土着フランス人が子どもにイスラム系等の名前をつけることはまずない、という事実である。

 このような点を考慮しつつ、アフリカ黒人系の名前(例 :Keo等)、マグレブ系の名前(例 :Abdel-Ali等)、トルコ系の名前(例 :Ergul等)を手がかりにして、調査対象となった生徒を分類し、生徒の国籍も考慮しつつ、特定学校施設での特定人種生徒の偏在を明らかにしようという研究が行われた18)

 

3.2      調査結果

 調査対象となったのは、2000年度におけるボルドー大学区の全中学生144,000人超であり、当時333校の中学校に在籍していた。国籍だけで判断するとアフリカ黒人系・マグレブ系・トルコ系の生徒は2564名(1,7%)だが19)、この数値に、名前による分類からの数値を加えると、これらの人種の生徒数は6849(4,7%)となる。

 これらの生徒は、いくつもの不利な条件を抱えている。まず、彼らの76%は経済的に恵まれない環境にあり、51%4人以上の兄弟を持つ家庭に育ち、進級が「普通」(「特進」を含む)の者は48%(全生徒平均68%)にすぎない。言いかえれば、彼らの52%が落第を経験しているということである。学習が遅れているための特別クラスに入るものも多い。注目すべきは、同じ非土着フランス人でも、これらの人種に属さないのものは、さまざまな点で土着フランス人に近く、経済的・教育的ハンディキャップがアフリカ黒人・マグレブ・トルコ系の生徒に集中していることがみて取れる。

 さらに、これらの人種の生徒たちは特定の学校施設に集中している。彼らの40%が、わずか10%の中学校に集中しているのである(図1.参照)。これは大学区平均の8倍に当たる集中度である。全中学校333校のうち、17校では、全生徒の20-40%がこれらの人種に属するのに対し、81校では、1%に満たない。人種的な配分を各学校施設間で等しくするには、これらの人種の生徒の89%6,000人以上が学校施設をかわる必要があるが、この数値は、全生徒144,000人の4.2%、中学校13校分にあたる。

 

図1.ボルドー大学区中学校におけるマグレブ・アフリカ黒人・トルコ系生徒の割合

大学区平均4.7%

10%の中学校が40%のマグレブ・アフリカ黒人・トルコ系の生徒を受け入れている。

・これらの中学校の生徒の52.9%が恵まれない環境の出身者

Felouzis et al. (2002 : 5)から表題・注記を翻訳して引用。Felouzis et al. (2005 : 40)にも同一図あり。縦軸にマグレブ・アフリカ黒人・トルコ系の生徒の割合(%)をとり、個々の中学校におけるこれらの生徒の割合を棒グラフで示した。

 

 一般的に言って、学校施設でのこのような人種的偏在は、必ずしも居住空間における人種的偏在の帰結ではない。個々の中学校は特定地域(学区)の生徒を受け入れるように定められているが、著しい人種的偏在が観察される学校では、その偏在の比率が学区の人口における人種偏在の比率よりも大きくなっている。極端な場合、学校における人種的な偏在は、居住地域におけるそれの2倍に達することさえあるという(Felouzis et Perroton 2005)。確かに、アフリカ黒人・マグレブ・トルコ系住民が多く居住する都市近郊地域は存在する。しかし、Felouzisらが観察したような中学校における人種偏在は、「学校回避」、すなわち、学区ごとに指定された学校を回避して、「より良い学校」に入ろうとすることによって、先鋭化している20)

 特定中学校における生徒の人種的偏在を生みだす「学校回避」がどのように動機づけられてゆくか、とくに庶民階級に属する学校回避の実践者たちの社会的状況と心理的傾向については、以下の3.5節で検討する。

 生徒の人種的な集中は、教育面でも重層的なハンディキャップを生じさせる。すなわち、人種的集中が著しい10%の学校では、生徒の53%(大学区平均35%)が経済的に恵まれない層に属し、35%(同26%)が一年の落第経験者、11%(同6%)が2年以上の落第を経験している。特別クラスに入っていて、本来の中学校レベルの学習についていけない生徒も8%(同3%)いる。Felouzisらによれば、こうした状況を表現するのには、「学校のゲットー化」という言い方も行きすぎではない。というのも、こうした学校では、不利な条件を抱えた生徒の集中が全体的な学力低下をまねいて進学等の進路選択の幅を著しく狭めており、また、教育・学校生活のさまざまな局面で生じる問題を、生徒自身も教員や教育機関も、「人種」に結びつけてとらえる傾向を示すからである。

 3.3-3.5節では、生徒の人種的な偏在がもたらすこうした「ゲットー化」の諸側面を概観する。3.3節では、人種的偏在のある学校における成績評価と進路指導のあり方を検討し、1.2節で指摘した選抜の先送りが人種的な色合いを帯びる現実をみる。3.4節では、ほとんど「人種隔離」とも言える状況が、非土着の生徒たちによってどのように生きられているか検討し、社会的・教育的排除と人種的排除がわかちがたく交錯していく様子をみる。最後に3.5節では、土着フランス人による「学校回避」が、庶民階級の土着フランス人自身の社会的排除と深く結びつき、学校における人種的偏在が人種差別的姿勢の温床となっている事実をみる。

 

3.3      成績評価のゆれと選抜の先送り

 1.2節で指摘したように、バカロレア取得=大学進学に至る「進学コース」の門戸を広げるという政策は、中学校における選抜の寛容化となって現場に反映した。「就職コース」への進路指導が政策的・制度的に難しくなる状況で、それ以前には振り落とされていた生徒もとりあえず高校進学を認められ、選抜が高校以降に先送りされることになった。Felouzisらが調査したボルドー大学区の中学校でも同様の傾向が観察され、しかも選抜の寛容化の「恩恵」を受けるのが、特定人種の生徒であることも判明した。

 Felouzisらは、「中学校修業証書(brevet des collèges)」の成績評価によって、学校間の学力格差と人種偏在の関係を調査した。この修了証書の合否は、学校間で共通の筆記試験と中学の最後の2年間(第4・第3学年)における成績とによって判定されるが、一般的に言って、合否判定はさほど選別的ではない(全国平均合格率約79%)。とはいえ、進級が遅れている者や経済的に恵まれない者たちの合格率は低くなる。また、アフリカ黒人・マグレブ・トルコ系の生徒たちの合格率は54.2%と土着フランス人のそれ(80.1%)大きく下回っている。これらの人種の生徒たちは、しばしば経済的に恵まれず、学習が遅れており、そして人種的偏在がある学校に通っている。彼らは中等教育レベルにおいて、土着フランス人と比べて重層的なハンディキャップを負っているのである。

 学校間での評価基準の違いを勘案する必要がない共通筆記試験の成績を検討すると、アフリカ黒人・マグレブ・トルコ系生徒が20%を超える学校では、20点満点で1点他の学校よりも低い。これらの人種の生徒たちに課された重層的なハンディキャップを考慮すれば、これは予想された結果だといえる。

 さて、「中学修業証書」の合否には共通の筆記試験のほかに、学校ごとの長期成績評価が加味される。一般に、長期評価は筆記試験よりも「甘い」傾向があるが、両者の差は「経済的に恵まれない者」、「学習が遅れている者」そして「アフリカ黒人・マグレブ・トルコ系の生徒」の場合により大きくなる。すなわち、学習に対して多くのハンディキャップを負っているこれらの生徒は、共通筆記試験の不足分を長期評価点で補っているのである。上でみたように、人種的偏在がある学校の生徒の共通筆記試験の成績は他の学校の生徒と比べて5%ほど低い。しかし、長期評価に関しては、これに対応する学校間格差がほとんど存在しない。すなわち、人種偏在がある学校の生徒たちは長期評価において「実力」よりも高い点を取っていることになる。

 長期評価には学習意欲の向上をねらったり、将来性を考慮したりする目的があるので、上述した傾向を一概に「不公平」として非難することはできない。しかし、この傾向は、1.2節でみた選別過程の弛緩と「選別の先送り」、それがうみだす格差の一時的隠蔽の様相をはっきりと示している。

 生徒の人種に応じた成績評価の「ゆれ」と同一の方向性を持った現象が、高校進学を控えた第3学年終了時の進路指導においても観察される。中等教育の第一段階の最終学年であるこの学年における進路指導は、大変重要である。生徒たちの進路は、高等教育につながる「普通教育課程」、高校卒業後の早期の就職をめざす「技術教育課程」、職業生活に直結する「職業教育」、あるいはこれ以上の教育を受けない選択によって分岐する(4参照)。言うまでもなくこの進路指導には、中学時の成績が大きく影響する。さて、生徒たちの進路と彼らの成績の関係を検討してみると、生徒の人種や学校の特徴によって進路指導の方針にぶれが生じ、成績と進路の関係が一貫していないことがわかる。

 まず、「中学修業証書」の共通筆記試験の成績から学力が同一レベルであると判断される場合、「アフリカ黒人・マグレブ・トルコ系の生徒」の方が他の生徒に比べて「普通教育課程」の高校1年(第2学年)に進級できる可能性が高い。同様に、人種的偏在が観察される学校の在学生は他の学校の生徒よりその可能性が高い。たとえば、共通筆記試験で10点(20点満点)をとった生徒を考えると、それが人種偏在がない学校の生徒であった場合には78%が高校1年(第2学年)に進級するのに対して、人種偏在がある学校の生徒の場合、その比率は84%まで上がる。同様に9点(20点満点)の生徒の場合、進級率はそれぞれ69%と76%である。

 上でみたように、共通筆記試験の成績から判断すれば、人種偏在のある学校は、教育効果の点では劣っていると言わざるを得ない。それにもかかわらず、これらの学校では、逆説的に進路指導に関しては積極的で「前向き」の傾向がある。これは一方では、その時点では学力的に弱点がある生徒たちにさらなる「チャンス」を与えるという側面があると同時に、他方では、生徒間・学校間格差が大きく問題化することを予防的に回避し、それによって結局は格差を固定化してしまいかねないという恐れがある。

 早い年齢時における非可逆的な選抜を避けるというのは、機会均等の原則からも、また、発達心理学的・社会学的見地からも支持される。まだ極めて若年の生徒には、将来大きく変化する時間と可能性が残されているからである。しかし、それは、こうした生徒たちの環境と習慣に切り込むような手厚い現実的な方策にともなわれてこそ意味をなす考え方である。教育における社会的格差の研究者たち(Broccolichi 1995, Barton et Oberti 2000, Felouzis et al. 2005...)が等しく指摘するように、問題に現実的に対処するためには、教育現場の大規模で実質的な変革が不可欠なのである。

 現状のままでの選抜の寛容化は、生徒・教員間の循環的な相互依存関係を生み出してゆく。生徒の側からは、とりあえずそこそこの成績と進学への進路指導を得ることで、「学歴資格取得(réussite scolaire)」が保証するかにみえる「社会的上昇(ascension sociale)」に希望をつなぎ、教員の側からは、学習の遅滞等の困難に立ち向かう労力と責任をまぬかれる一方で、生徒との葛藤を避けることができるからだ。しかし、こうした格差の隠蔽を通した選抜の先送りは、1.2節でみたように、高校において急速に厳格化する選抜や高等教育における「おちこぼれ」を生みだす要因になりかねない。とくに、選抜の寛容化の二つの側面、すなわち中学校における成績・進路指導の「甘さ」と高校以降における選抜の「きびしさ」の矛盾が、現時点では、生徒の人種的な差異に対応して現れる、という状況には特に注意を要する。すなわち、中学校における「甘さ」は、特定人種の生徒たちに対する優遇策=特典として、他の者たちに「逆差別」の気持ちを抱かせ、また、高校以降の「きびしさ」は、選抜を受ける者たちにとって、特定人種に属する自分たちだけが排除される教育的人種差別として生きられることになるのである。

 学校における特定人種生徒の偏在は、このように教育上の問題を過度に「人種化」してしまう恐れがある。以下、このような観点から教育的格差の人種化の問題と、土着フランス人の「学校回避」における人種的要素を検討する。

 

3.4      教育的な排除と人種

 人種的偏在を示す学校では、教育上の問題がことさらに「人種化」する恐れがあるが、それは、人種差別の対象となっている非土着の生徒の側から引き起こされることもある。すなわち、差別を受ける側が人種差別を助長する環境を作り出してしまうという逆説が生じる。非土着の生徒たちは、学習上の困難が生じたり、教育課程からの脱落の危機に見舞われたとき、その原因を「人種的」に解釈することがある。自分が教育上の困難に出会うのは、教育機関や教員たちに根付いた人種差別の犠牲になっていると考えるのである。教育上の「権威」は、自分たちを蔑視する人種的優越意識の現れとみなされる。こうして非土着生徒たちにとって、学校は、教育課程からの脱落と人種的属性とによって二重に排除される場所となる。生徒が人種的に偏在している学校のように、人種的要因が重みを持つ状況では、社会的な排除と人種的な排除は複雑に入り組んでおり、一方を他方から区別することは大変むずかしくなってしまう。特に、生徒たちが自分の学習上の困難に対して、納得のゆく説明を提供されないときにはなおさらである。さらに、学校外の社会に厳然と存在する明白かつ公然たる差別の体験や、一部の人種的偏見を持つ教員との接触がこうした「人種的解釈」への道を開く。

 社会的・人種的な二重の排除は、その対象となる生徒たちを反動としての「人種主義」に導くこともある。すなわち、自分が土着フランス人とは異なった人種に属することを誇りを持って前面に掲げ、それを反抗のよりどころとするのである。ここから彼らは、フランス的な正当性に対抗する反学校的で人種主義的なカウンターカルチャーを創造してゆく。人種共同体への帰属が、人種的に色分けされた(と判断された)学校制度への反抗の支点となる。このような人種共同体への「閉じこもり」は、共和国原理を根本から侵食する「共同体主義(communautalisme)」の現れとして、しばしばマスコミで批判的コメントの対象となるが、その背後にはここでみたような構造的な原因があるのである。

 非土着生徒たちの人種主義には極めて逆説的な点がある。特にマグレブ系を中心として、彼らは「平等」というフランス社会の基本的な価値感を、現代フランスの他の文化的な価値観とともに自分のものとしており、将来の職業生活に対して高い希望を持っている。その彼らが学校制度において、自分たちではどうすることもできない教育的な不平等にさらされると21)、彼らの教育制度に対する信頼は急速に解体する。学歴社会で上昇するために学校に極めて多くを期待していただけに、この幻滅は特に強く作用する。彼らが人種主義的反学校文化に向かい、人種共同体に自分のアイデンティテーを求めるようになることの背景には、このような機制が存在する22)

 

3.5      学校回避の論理と人種

 学校施設における人種的偏在は、生徒たちの学校生活にも当然のことながら大きな影響を与える。しかし、Felouzisらによれば、「人種的偏在のある学校」=「校内暴力が蔓延する郊外の学校」というステレオタイプはまったく現実にそぐわないという。これらの学校は想像されるよりも平静であり、生徒間の関係も一元的に人種カテゴリーに依存するものではない。人種に基づいたまとまりは、普通はゆるやかで排他性がなく、「外」に対して開かれている。しかし、いったん緊張状態が生ずると、人種的な区分はすぐに表面化する。生徒間の葛藤はあたかも人種対立の様相を帯びてしまう。多くの場合、こうした緊張関係は長続きせず、人種的区分は排他的でないものに戻ってゆくが、ときには潜在化しながら持続してゆくケースもある。

 この節では、人種的な区分が「地」となっているこのような状況下で、土着のフランス人側が人種偏在を示す学校をどのようにとらえ、それに対してどのように行動するか検討する。とくに、彼らが示す「学校回避」の構造を分析し、土着フランス人自身の社会的排除と彼らが示す人種差別的姿勢との関係をみてゆく。

 人種的偏在が生じる学校の学区に居住する土着フランス人は、庶民階級に属している。彼らは、自分たちが貧困と排除で特徴づけられた居住空間に追いやられ閉じ込められたと感じている。そこから、自分たちが犠牲になっている社会悪の元凶を「移民」に求めるというスケープゴートの論理が生ずる。このような土着フランス人にとって、自分の子どもが人種的偏在のある学校に入れられるという事実は、さらなる社会的排除の経験として感知される。悪評の立つ郊外に住んでいるというスティグマに、「移民の学校」を回避することができなかったという屈辱が加わる。このような住人からみれば、「移民の子」らは学校の学習レベルの低下させ、常に騒がしい環境を生み出して、他の生徒たちの学力低下を生み出す元凶とみなされる。また、土着フランス人の子どもたちも、自分が評価の低い学校に通っていることを意識して、外部からの視線に敏感になっている。自分がすでに「下」に置かれているという意識が、恵まれた地域の生徒・教員などから投げつけられる侮蔑的視線をいっそう耐え難いものにする。親であれ子であれ、「郊外の住人」というすでに負わされているスティグマを、「外国人が多い学校」にいるという事実がいっそう強化し、人種差別的感情や行動を下支えしたり、それらが表面化する契機を用意することになるのである。

 このような土着フランス人の差別感情は、実は、彼ら自身が教育課程から脱落し、社会的上昇(階級移動)を許すような十分な成果を教育から得られていないという憤懣から生じている。差別感情は、自分たちの閉塞状況の責任を「移民」というスケープゴートに転嫁するためばかりでなく、「最低レベルの学校にいる」という自分たちの未来を閉ざす耐え難い現実に対する反射として生じているのだ。偏在する特定人種生徒にターゲットを絞った「アファーマティヴ・アクション」に対して、彼らが「逆差別」だとして反発するのは、このような背景がある。重点的な援助が、社会的な排除をうけ、「移民」の存在によっても不利益をこうむっていると感じている自分たちを素通りすることが、彼らには不当だと思われるのである。

 さらに、土着フランス人側は、自分たちは個人主義的でばらばらであるのに対して、「彼ら」はまとまっていると考え、そこに「脅威」を見出す23)。散発する生徒間あるいは教師・生徒間の葛藤や「校内暴力」を通して、この「脅威」は情念的に把握され、強化される。「スケープゴート」は、今や自分たち(の子どもたち)の「安全」を脅かす「脅威」となり、学校回避をいっそう正当化することになる。実際、学校回避をする庶民階級の親たちは、その理由として「子どもたちの安全」を第一にあげているのである(Felouzis et al. 2002 : 9および Felouzis et al. 2005 : 121-122)

 前節および本節で検討した事実は、以下のことを示している。すなわち、人種的な偏在を抱える学校では、すでに社会的に存在する人種差別が再生・増幅されるばかりか、時には、学校こそが人種差別的な態度・行動を作り出す元凶となることさえある。Felouzisらは、学校における人種的偏在と人種(差別)主義との関係を、結論として次のように要約する。「人種的隔離状況が人種主義を生み出すのであり、その逆ではない。」

 

4.結論と今後の課題

 

 この論考で我々は、フランスの中学校における学校間格差の発生の経緯と現状とを考察した。1.1-1.3節でみたとおり、学校間格差が問題化するほどに顕在化した根源には、そもそも後期中等教育(高等学校)を「大衆化」するという政策的な選択があった。この教育政策は、「80%の生徒が高校卒業資格」を得ることを目標とした1989年の教育基本方針法において集大成をみることになるが、教育現場では、こうした大胆な政策にみあう教育実践の変革や教育活動の充実はみられなかった。教育現場では、むしろ選抜過程を緩和し、それを通して生徒間格差が顕在化するのを当面は防ぎ、選抜を高校以降に先送りするという戦略がとられることになった。選抜が弛緩すると、学校の教育レベルはその学校に入学してくる生徒の社会階層的な特徴を反映するようになった。隠蔽された生徒間格差が学校間格差となって顕在化したといえる。実際、2.1-2.2節でみたように、学校間格差は1990年代以降、拡大しており、社会的・経済的・教育的に排除されたものが特定の学校施設に集中する傾向が現在に至るまで続いている。

 こうした学校の「ゲットー化」の様相をよりはっきりと示しているのが、特定人種の生徒たちが特定学校施設に集中しているという事実である。3.1-3.2節で取り上げたFelouzisらの研究が明らかにしたところでは、こうした人種的集中は、「学校におけるアパルトヘイト」という衝撃的な彼らの本のタイトルが、決して単なるセンセーショナリズムではないことを示している。現代のフランスでは、中学校の学校間格差が学校施設の「人種化」をともない、人種隔離状況として先鋭化しているのである。

 3.3-3.5節では、生徒の人種的偏在をかかえる中学校の現状をFelouzisらの研究にしたがいつつ概観した。まず、3.3節では、学校間格差の根源にあった選抜過程の寛容化が「人種化」され、当面の恩恵を受けはするが、後に厳しい選抜にさらされるのが、偏在する特定人種の生徒となる傾向を確認した。3.4節では教育環境の人種化が、非土着生徒側の人種的反応を呼び起こし、かえって人種差別的な状況を作り出していることをみた。最後に、3.5節では、人種的偏在を示す学校に対して、土着フランス人側が示す「学校回避」の姿勢を分析し、学校における人種的偏在が、彼ら自身の社会的排除や学校に対するアンビヴァラントな心理と複合して、結果として彼らの人種差別的姿勢を増強し、いっそう学校回避に向かわせるプロセスをみた。学校における人種偏在は、社会的に一般化した人種差別状況や居住空間における人種偏在が単純に反映したものではない。一方では、学校回避が特定の学校施設に人口比率以上の人種的偏在をもたらし、他方では学校における人種偏在こそが居住空間を特徴づけ、人種差別の基点となる。こうした意味において、学校は理念としては、人種間の融和と協調および社会的機会均等を実現するための制度であるとともに、現実には社会的矛盾や対立を(拡大)再生産してしまう装置ともなっているのである。

 1.33.23.5の各節でみたように、中学校間の学校格差を現在確認される状況にまで拡げたのは、ある層の親たちの「学校回避」によるところが大きい。しかしながら、この論考では学校回避の実態に関しては、掘り下げた考察を展開していない。学校回避を通した学校間格差の拡大のメカニズムと、学校回避が社会的平等や機会均等といった共和国原理の中核をなす原則とどのような関係にあるか、という原理的な問題は、今後の課題としたい。また、中学校の「学区制の廃止」を公約として20075月に当選したサルコジ大統領のもと、2007-2008年度はとりあえず「学区制の緩和」を決定した政府の方針が、学校施設のよりいっそうの「ゲットー化」を生じさせないか、注視してゆく必要があろう。

 

 

*この論文は荒井(2008)に新たに数節を加えて、大幅に加筆したものである。荒井(2008)の草稿に対して貴重なご指摘とご提言をいただいた日仏教育学会年報編集委員ならびに匿名の査読者の方々にこの場を借りてお礼申し上げる。また、この研究は、一部分「平成20年度京都産業大学総合研究支援経費(200千円)」の援助を得て遂行された。

1) フランスのコレージュ(collège)は前期中等教育の学校施設で、その入学は、特進・落第がなければ11才時点(日本の小学校6年生にあたる)であり、その在学期間は4年間である。進学年齢・在学年数の点で日本の中学校とは異なるが、ここでは、表記の簡便さを取って、「中学校」と表記する。また、同様に、リセ(lycée)は「高校」と表記する。本文で言及するフランスの中学校(コレージュ)の学年は、日本とは異なった特有の名称を持っている。すなわち、中学校第一学年が「第6学年」となり、その後進級するごとに数値が減少し、高校進学直前の中学校の4年目が「第3学年」となる。上で指摘したように、中学校への進学は日本より1年早いが、在学期間が4年あることで、高校進学年齢は日本と同じになる。

2) 小林(1997)など日本の文献では、この法律を「教育基本法」と呼ぶことが多いが、日本の「教育基本法」との性格の違いを明確にするため、ここではこの法律の原文名称の意味により忠実に「教育基本方針法」とした。

3)  1973年と1980年の中学校(第6学年)進学者を比較した追跡調査では、高校(第2学年)進学と普通課程の高校卒業資格取得に関して、1980年のほうが若干減少しているという結果さえみられる。

4) 高校進学を控えた第3学年(中学校4年目)において、生徒たちは進路の選択を迫られる。すなわち、彼らの進路は、高等教育につながる「普通教育課程(enseignement général)」、高校卒業後の早期の就職をめざす「技術教育課程(enseignement technique)」、職業生活に直結する「職業教育(enseignement professionnel)」、あるいはこれ以上の教育を受けないという選択によって分岐する。1985年まではこれらの進路を取る生徒の比率は安定的に推移していた。すなわち、おおよそ55%の生徒が「普通教育課程」および「技術課程」の高校に進学し、四分の一弱の生徒が「職業教育修業免状(BEP : brevet d’études professionnelles)」の取得を目指す職業教育に向かった。しかし、1985年以降、1990年代の初めにかけて、普通・技術高校進学者が大幅に増大した(Esquieu 1996Trancart 1998: 50参照)

5) フランス文部省(Minstère de l’éducation nationale)の1992年の監査報告(Rapport de l’Inspection Générale de l’Éducation nationale, 1992)によれば、現場での「教育実践は第6学年生の多様性を十分考慮に入れておらず」、通常の授業外での補助教育も「伝統的教育法の調整に終始し、学習遅滞を解消すべく適切に組織されてはいない」と指摘している。

6) 1980年時点では、第5学年 (中学校2年目)が進路の分かれ目であった。四分の一の生徒が第4学年に進学せず、就職コースに進んだ。就職コースには「職業適性証(CAP : Certificat d’aptitude professionnell)」の取得を目指すコース、二種類の「職業準備学級(CPPN : classe pré-professionnelle de niveauおよびCPA : classe préparatoire à l’apprentissange)」があった。このうち、「職業適性証」取得コースは1985年から徐々に縮小・消滅し、その代わりに生徒たちは高校進学につながる技術課程の第4・第3学年に進級した(Esquieu et Bertrand 1996 : 61-62参照)Trancart (1993 : 25)によれば、研究対象となった6つの大学区で「職業適性証」コースと「職業準備学級」に振り分けられていた生徒は、1979-1980年度にはほぼ18%いたのに対して、1989-1990年度には3.4%にまで減少している。ここで忘れてはならないのは、このような就職コースへ進路指導される生徒の比率が学校間で大きな異なることである。Trancart (1993 : 24)によれば、「職業適性証」コースおよび「職業準備学級」に進む生徒の学校間格差を示す変動係数は、1980年にはそれぞれ55.271であったのに対して、1990年には111.2145となり、いずれも二倍強に上昇している。実数において10年間で5分の1をきるほどに減少した就職コース在籍生徒の学校間分布の偏りは、同じ10年間で二倍以上になっているのである。実際、これらの就職コースを開設している学校施設は1980年には全体の80%あったのに対して、1990年には55%ほどに減少している。

7) Broccolichi(1992)は、高校生徒への面接調査を通して、「一貫してより多くの生徒に高校への進学を許しながら、入学した生徒のほとんどを評価の低いコースへと進路指導してゆくシステムの矛盾」を明らかにしている。面接した生徒たちの通う進学校では、落第や進路変更を余儀なくされる生徒の割合が、出身中学校に違いによって、8%から50%まで変動するという。そしてこのような「落ちこぼれ(échec scolaire)」は、学校の教育環境・教育方法を問い直すことなく、生徒たち自身が生みだした学習成果の低さに帰され、その結果、多くの生徒は学校からは提供されない学習補助を外部に求めることを余儀なくされる。Broccolichi(1992)に収録された生徒たちとの対話は、このような矛盾を生きる生徒たちの戸惑いと失望、そして憤懣を浮き彫りにしている。同様な視点から、Beaud (2002)は非常に示唆的である。これは、「高校卒業資格取得者80%」という政策の恩恵を受けて大学に進学したものの、十分な成果をあげずに落ちこぼれてしまった移民系労働者階級出身の若者たちの困難な道のりを長期にわたる経年的調査に基づいて丹念に描き出したすぐれた研究だが、そこでBeaudは、彼らの高等教育課程からの脱落は、文化環境に起因する学習上の困難を彼らが高校卒業までに十分に埋め合わせられなかったためであることを明確に示している。

8) 3.1節以下で詳述するFelouzisらの研究(Felouzis et al.2005)はまさにこうした問題に焦点を当てている。

9) Maetz (2004)によれば、中等教育全体を通して、全生徒の五分の一が私立学校に通っている。予想されるように、私立学校に通うのは一般的に、より恵まれた社会階層の子どもである。また、Maetz (2004)は落第に関して私立と公立学校間の興味深い違いを指摘している。すなわち、公立中学校では私立中学よりも落第が少ないが、高校進学時に進学コース以外に進路指導される生徒は公立のほうが多い。また、高校では、落第は中学校とは反対に、私立のほうが公立よりも少ない。Maetz (2004)のこの指摘は、本文で述べた公立中学校での選抜過程の緩和とそれがもたらす問題、そして、それを回避するために私立学校が求められているという事情を非常によく示している。

10) Broccolichi et OEuvrard (1993) は、「高校卒業資格80%」目標を背景にした選抜の弛緩から、学校間格差と一部中学校の「ゲットー化」に至る過程を、現場の教員たちの聞き取り調査も引用しつつ、簡潔に活写している。教育現場の改革と充実をともなわない「高校卒業資格80%」という政策を、彼らはpolitiques démagogiquesと呼ぶことをためらわない。特に彼らは、ゲットー化にいたる悪循環のメカニスムの中に、「保護者・学校管理者に対する教員の権限の低下」、「生徒の実態に合わせた個別指導の欠如」、「個別学校施設の独自性の推進と学校間競争の拡大」、「学校間競争過程での遅れた生徒の切捨て」、「現場の教員・生徒への責任の押しつけ」といった要素を的確に指摘している。

11)  Trancart (1998)の内容を簡潔にまとめたものにTrancart (2000)がある。

12) 「教育特別区(ZEP, Zone d’éducation prioritaire)」とは、1981年の社会党政権の誕生に際して導入された教育に関するアファーマティヴ・アクションである。恵まれない階層に属する住民の比率や、学習遅滞生徒数などの指標に基づいて、教育施策を重点的に施すべき地域を指定し、そこに位置する学校施設に予算・人員配置などの点で特別措置を適用するとともに、地域団体とも協力しつつ学校独自の教育プログラムを導入し、成績不振や学業放棄を未然に防ぐことを目的とする。創設時に362区あったZEP1999-2000年度には865区まで増加し、中学校は823校、全中学校生徒のおよそ18%ががその中に含まれる。

 一方、「教育困難校(colléges sensibles)」とは、1992年から校内暴力に対処するために指定された中学校・高校で、主に人員に関する特別措置の対象となる。1994年時点で167校が指定され、そのうち中学校が99校含まれる(Auduc 1997 :108-109, Auduc 2005 : 276-286, Messica 2005 : 24-27参照)

13) Oberti (2007 :132)によれば、Nanterreの公立中学校では「恵まれない社会階層出身生徒」の割合が34.3%~56.2%、「2年以上の落第経験者」の割合が11.4%~22.6%の間で変動するのに対して、Rueil-Malmaisonの公立中学校は、一校の例外を除き前者が0~21.8%、後者が3.4%~9.4%の間に納まる。(例外となる一校における割合はそれぞれ15.3%40.1%で、Nanterreの公立中学校の変動範囲では下位に属する。)

14) Thomas (2005)が「目的別」クラス (sections « spécifiques »)と呼んでいるものは、第4学年教育援助支援クラス(quatrième d’aide et de soutien), 第三学年教育課程統合支援クラス(troisième d’insertion)など、深刻な学習遅滞生徒を中学校の教育課程へ復帰させるための支援教育と、技術コース(section technologique)や職業見習いコース(section de préapprentissage)など、上位の教育課程に進学しないことを前提にした職業訓練のためのクラスである。

15) 「職業教育対応普通科」(SEGPA)とは中学校に設置される特別教育セクションで、小学校の段階で大きな学習遅滞を抱えた生徒を12才から受け入れる。中学校の一般教育のほかに、職業教育への導入を開始し、中学卒業後に「職業適性証(CAP)」(注6参照)の取得につなげることを目標にして、第4/3学年には企業研修も実施する。中学校の教員のほか、職業高校の教員も教育に参画し、生徒にはこのセクション終了後、職業高校に進む道もある(Baudier 2001 : 129, Auduc 2005 : 312-314参照)

16) Thomas(2005 :111-2)が「優等コース」と呼ぶのは、1)ヨーロッパコース及び国際コースなど外国語教育に重点を置くコース、2)コースという枠組みはとらないが、第6学年から2つ(以上)の外国語が選択できる教育課程、3)音楽コースである。表7.にあるとおり、これらの教育課程の少なくともどれか一つを持つ中学校は、全国平均で、全体の39.3%ある。

17) Felouzis et al. (2005)のうち、特定人種生徒の集中に関する数値的データと、調査の方法論についてはFelouzis et al. (2002)に要約されている。また、Felouzis et Perroton (2005)は、Felouzis et al. (2005)の研究成果とその社会的意義を簡潔にまとめている。

18) 名前が人種を指し示さないこともある。例えば、アフリカ黒人系には、キリスト教徒もおり、彼らは土着フランス人と同様の名前を持っている。このような場合には、名前は人種の指標とはならない。このほかにも類似のケースが存在するが、Felouzisらはこのような不確定的なケースでは、誤差があったとしても、それが常に、非土着の生徒の数が少なくなる方向に作用するように、計数を実施したと報告している。

19) ボルドー大学区の中学生徒の中で、外国人(非フランス国籍者)は3.1%であり、フランス全体の平均値5,1%と比較してかなり低い。

20) さらに言えば、学校の人種偏在が、学区の人口の人種偏在を強化するという逆流効果さえ観察される。すなわち、人種偏在のある学校に子どもを通わせたくない親たちが、その学校の学区の外に移住するという事態も発生するのである。その一方、「学校回避」の可能性は「郊外」の居住空間が中産階級化する前提条件とさえなっている。すなわち、学区の指定学校以外に通学可能な「より良い学校」が存在し、かつ、「特別許可」を得て子どもたちをその学校に行かせる見通しがあるときに限って、庶民階級居住地域に中産階級が移住してくるのである。

21) 個々の当事者の「自己責任」の問題には解消されない教育的不平等の「再生産」についてはPierre Bourdieuらの古典的諸著作特にBourdieu et Passeron 1964およびBourdieu et Passeron 1970を参照。

22) 2005年秋の都市郊外の若年層による「暴動」において、学校のような公共施設が破壊活動の標的になったことは、このような背景を考えると、象徴的な意味がある。

23) このようにして「外国人」と「非行・治安悪化」とを結びつけるポピュリスト的言説が生じる。前節でみた非土着生徒たちの人種主義的なアイデンティティーの模索を、最近は特に「(イスラム)宗教原理主義」との関係を引き合いに出して、「共同体主義」として批判する言説にも、しばしば同様のポピュリスト的傾向がみられる。

参考文献

 

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The evolution and present disparities among public secondary schools in France

 

Fumio ARAI

 

Abstract

 

            The disparities among public secondary schools (collèges) in France have often been examined in sociological researches of education. In fact, they have never ceased to increase since the mid eighties. In this paper, we trace the evolution of the differentiation of public secondary schools in the years of 1980-1990.

            Under the educational policy which aimed at an 80% pass rate of the baccarauréat, the promotion to a higher grade became easier, depending less strictly on the academic performance of the pupil. The public demand for longer education was satisfied in that way. However, the mildness of the selection system brought about an increasing number of “escapes” of pupils, belonging to the favoured classes, who could find an alternative place to pursue their studies. Gaps between schools emerged, concentrating socially and academically disadvantaged pupils in particular educational establishments.

            These gaps enlarged throughout the 1990s, and, in the present situation, the segregation of disadvantaged pupils is relatde to ethnicity. In other words, the gaps between public secondary schools are characterized by the concentration in certain schools of pupils who are immigrants or from immigrant families.

 

Keywords: French education system, public secondary schools, social inequality in education, school choice, ethnic segregation,

 

 

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